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事業承継をオープンに。すべての経験を力にして

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株式会社ライトライト 取締役 齋藤めぐみさん

事業を次の経営者に引き継ぐ、事業承継。第三者に承継する場合、限られた人のみが情報を知り、内密に行われるのが一般的でした。そんな常識を覆し、オープンな事業承継サービスを提供する、株式会社ライトライト。取締役を務める、齋藤めぐみさんにお話を伺いました。

齋藤さんは進学後、出版社へ就職。フリーライターとして独立するなど、多様な経験をお持ちです。どんな想いがあったのか、詳しく伺いました。

「日本一厳しい」寮生活、出版社での学び

自己紹介をする齋藤さんの画像

自己紹介をお願いいたします!

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齋藤 めぐみ(さいとう めぐみ)宮崎市出身、1983年生まれの39歳です。
宮崎南高等学校を卒業後、宮崎県立看護大学を経て、京都の大学に進学しました。

京都では、当時「日本一厳しい寮」と言われていた大学の寮に入りました。

授業がなくても、全員6時起床。廊下に並んで寮母に朝の挨拶、門限は夜8時。持ち物は、洋服と布団含めてクローゼット1コ分など、謎めいた規則だらけの昭和初期のような生活でした(笑)。

それは確かにかなり厳しいですね…。

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寮生活で、私の価値観は180度変わりました。

それまでは宮崎で気の合う友達だけと遊び、家族に守られ、与えられる日々を過ごしていました。でも、寮には何もない。テレビもインターネットもない、夜10時には就寝でブレーカーが落とされるので真っ暗。

だから、自分で工夫しておもしろくするしかなかったんです。寮内で「できない理由」を探し始めるとキリがないから、「この環境でもできること」を探して楽しむ。その精神は今でもずっと生きています。

厳しい生活だったはずなのに、人生の中で一番楽しかった思い出でもあるんです。

物理的に何もないから、飽きもせずひたすら友達と話す。朝から晩までお腹抱えて笑ってましたね。そのシンプルな生活が、今思えば最高に贅沢な日々でした。寮の友達とは家族同然に仲良くなり、今も親友です。

何もないからこそ、大事なことに気付けた日々だったんですね。

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卒業後、上京し出版社に就職しました。

とにかく忙しくて、編集者として必死に働きました。当時上司だった方は「つべこべ言わない」が信条で、言葉は少ないけど確実に完璧に仕事をこなす方でした。背中で引っ張ってもらいながら、本当に多くのことを学びました。

著名な方々にも、何度も取材させていただきました。文化人やアーティストって独自の確固たる信念を持っておられて、それに触れることができたのは大きな経験でした。

でも「その質問には答えたくない」とか平気で言われるんですよ。だから過去のインタビュー記事を読み漁り、すでに出てる情報は質問しないよう、工夫した質問を考えていく。ヒリヒリする駆け引きでしたけど、そうして新しい一面を引き出せると先方も喜んでくださる。

まさに愛のムチですね。鍛えられたし、育てていただきました。

信頼のおけるパートナーとチャレンジする日々

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プライベートでは、宮崎南高等学校の東京同窓会幹事を担当することになりました。

当時は毎年数十人で開催されていたのですが、絶対もっと卒業生は関東にいるはずだと思い「200名集めます!」と宣言しました。目の前にまだできるはずの余白を見つけるとウズウズするんですよね。

はじめは皆に『無理だよ』と言われ、最初は会場も貸してもらえませんでした。でも、そこで一緒に動いてくれたのが、高校の後輩だった弊社代表取締役で夫でもある齋藤 隆太(さいとう りゅうた)でした。

そんな出会いだったんですね。
結果、人は集まったのでしょうか?

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最終的に、250名集まってくれました。

宮崎南高等学校の東京同窓会での集合写真の画像

すごい!目標を50名も超えたんですね。

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はい。これをきっかけに年代を超えてたくさんの方と繋がることができました。ここでの経験と出会いは今も大切な宝物です。そして2011年に28歳でフリーライターとして独立しました。

2014年に結婚。2016年に、当時夫が手掛けていた地域特化型のクラウドファンディング事業「FAAVO(ファーボ)」で、宮崎オフィスを設立することになり、家族でUターンしました。

宮崎に戻ってからもフリーライターとして活動されていたのですか?

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そうですね。Uターン前に書いた日南市の記事が多くの方に読んでいただいたこともあり、宮崎に戻ってから都内の企業から九州圏内のお仕事をかなりいただいていました。

インターネットメディア「greenz」
の画像 社会変革、社会貢献に関するニュースを提供するインターネットメディア「greenz」
齋藤さんが執筆した日南市のまちづくりの記事は、多くの注目を集めた
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地方でもフリーライターとしてやっていけるという強い確信がありましたね。

一方で、夫の事業も手伝って欲しいと言われ、週1で入る約束だったのですが、入ってみるとやるべきことがかなりある状態で。結局ライターのお仕事をお断りして、週5でしっかり内部に入り、オフィスの作り上げと事業の運営をしていきました。

2018年には、国内大手のクラウドファンディング企業「CAMPFIRE(キャンプファイヤー)」に事業譲渡。東京と宮崎のメンバーの事業部マネージャーとして、コアな部分に関わっていました。

2020年に夫が、事業承継マッチングプラットフォーム「relay(リレイ)」を手掛ける、株式会社ライトライトを設立。事業譲渡の経験や大廃業時代が来ると言われる社会課題に焦点をあて、ゼロからチャレンジすることにしたのです。

元々あまり良いイメージがなかった、事業承継。しかし、知れば知るほど、今の社会にとって必要なものだと意義を感じ、現在取締役として携わっています。

株式会社ライトライトスタッフの画像 左から、株式会社ライトライト 代表取締役 齋藤 隆太さん・取締役 齋藤 めぐみさん・スタッフ 宮下 聡一郎さん

結果を出し、地域の未来を創り出す

relay(リレイ)公式webサイトの画像 relay(リレイ)公式webサイト。様々な自治体とも連携し、地域を盛り上げている

なぜ今「事業承継」のサービスを始められたのでしょうか?

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経営層の高齢化などに加えて後継者がおらず、黒字でも倒産せざるを得ない企業は年々増加傾向にあります。子どもに跡を継がないことを周りに言い出せず、地域に愛されていたお店が急に閉店してしまったということもある。

街の店がなくなるということは、1つシャッターが増えること。個人だけでの問題ではなく、街全体の問題なんですよね。

ドラマなどで描かれる事業承継って、買う側が悪く描かれることが多いこともあり、第三者が事業承継するって悪いイメージを持たれている方も多いんです。

でも、そこにはメリットも多い。

まず、売り手のお店が存続する。そして、買い手は初期投資を最小限に抑えられるんです。既に設備があって、レシピがあって、お客様がいらっしゃる。いわば、事業のリノベーションです。

これまでの事業承継関係のサービスを見ると、クローズなところが多いですが
あえてrelay(リレイ)ではオープンにされているんですね。

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そうですね。文化的に「クローズ」が当たり前とされてきた分野でした。専門家の方たちからも『オープンにすると売り手側が嫌がる』『風評被害が立つ』といったアドバイスもいただきました。

でも、事業者の皆さんの声を直に聞くと、そうではないケースも多々あった。実際に今、約100件の全国の案件が出ていることがその証明です。

事業者さんの声や事業のストーリー、強みなどを詳しく記事にして届けることで、事業の魅力の本質を理解してもらえています。宮崎で事業をしていて、今は北海道の後継者募集が一番多いというのも、やりがいと手応えを感じています。

掲載された公募案件の画像 公募案件は、事業者の声を丁寧にヒアリングし、経緯や想いを細やかに伝えている
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10年後、当たり前のように1つの選択肢として「第三者承継」が浸透する時代がくると信じています。若い世代がUIJターンする際の選択肢としても、良いと思うんです。

そのためにも、事業者さんの声を聞きながら、結果を出し続けたいですね。

最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。

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環境に頼らず、自分で道を切り拓いてほしいなと思います。

「宮崎ではできない、東京ならできる」という考え方があまり好きではなくて。どんなことも自分次第。結局、宮崎でやらない人は東京に行ってもやらないと思うんです。

宮崎にその環境がないなら自分で作ればいい。はじめから大きなものを求めるのではなく、小さなことでも自分らしく取り組んで、自分の手で大きなチャンスに変えていけばいいと思います。

どんなことでも、自分で自分の力に変えていく
そのくらいの気持ちを持つことが大事だと思いますね。

そして、経験を糧にするか無駄にするかも自分次第。皆さんも、ぜひ一つ一つの経験を大切に血肉にしていって欲しいです。