全国から選ばれた23歳以下の青年技能者だけが出場できる「技能五輪全国大会」。全41部門に精鋭された1000人以上の青年技能者が集まり、日本一を目指して競い合う。宮崎市にも、直向な姿勢で、日々腕を磨き、全国に挑戦し続けている青年技術者がいます。
有限会社ファーニチャー横山 二級技能士 土持弘聖さん(22歳)取締役社長 土持武美さん
今回は、前回大会家具部門で「敢闘賞」、今年10月に開催された第54回大会同部門で見事「銅賞」を獲得した、有限会社ファーニチャー横山の二級技能士である土持弘聖さん(22歳)、そして指導者であり父である取締役社長土持武美さんに話を伺いました。
基礎を学んだ日々
【弘聖さん】幼い頃から、祖父と父が働く工場と自宅が同じという環境で育ち、いつも2人の背中を見て過ごしていました。図面を書く父、それを形にする建具職人の祖父。その姿を見て、職人はかっこいいなぁと思っていたのを覚えています。進路選択で、正直何をしたいのかはっきりしていなかった自分は、自然と2人の背中を追って、宮崎工業高等学校建築科への進学を決めていました。高校を卒業したらすぐに、祖父と父のもとで働きたいと思っていたのですが、祖父が病気で倒れてしまったんです。作れる人がいない、技術を教えられる人がいない状況になり、一人前になるまで時間がかかってしまうので、鹿児島にある家具の専門学校へ進学しました。家具だけを作る学校で、道具の手入れから徹底的に教え込まれる学校でした。
「かんな」の奥深さから家具作りに夢中に
【弘聖さん】在学中に、木材を「かんな」でどれだけ薄く削れるかを競う大会がありました。そこで、1000分の6ミリという記録を出すことができたんです。商売道具であるかんなの刃は「はがね」で作られていて、そのはがねには多くの種類があり、どれを使うかによって削り方も削ったくずも、削られた木材の質感さえも異なってきます。知れば知るほど奥が深いかんなに出会い、家具作りのおもしろさにはまっていきました。2年生のとき、先生から「技能五輪というものがあるが出てみないか?」と声をかけてもらいました。それが、私にとって初めての技能五輪全国大会でした。大会当日、家具の一部分で失敗をしてしまいました。斜めに切る方向を誤ってしまったのです。材料交換が必要になりましたが、無事に作り終えることができ、「敢闘賞」をいただきました。作り終えたのは5、6人しかいませんでしたし、賞もいただけたのですが、とても悔しかったです。
3度目の技能五輪全国大会で「銅賞」受賞
【弘聖さん】去年、学校を卒業し、実家に戻り会社に入りました。再度技能五輪全国大会に出場しましたが、結果は学生時代と同じ「敢闘賞」。同じ結果では納得がいかず、さらに高みを目指して、今年も技能五輪全国大会に出場し、今回は「銅賞」を頂くことができました。大会では、ビス等使わずに作る家具を12時間で作ります。1ヶ月前に課題がでて、大会当日まで、課題の家具を何度も実際に作って練習し、本番に持参する道具も制作用に別で作成していくんです。出場してくる他の技能者は、常連の企業や学校が主で、基本的なノウハウは先生がついて教えてもらえる環境ですし、大会用の道具も充分に揃っています。また、直前まで練習できる環境があるところも多いんです。私は、父と共に大会まで試行錯誤し、道具は配送するので約1週間前から練習はできません。だけど、これまでの練習の成果を出すことができ、「銅賞」を頂くことができました。大変誇らしく思います。
時に衝突もありながら、二人三脚で大会を目指す
【武美さん】弘聖は、学校で基礎は教えてもらえたのですが、そこから先は自分で考えるしかありません。迷ったときや行き詰ったときには、相談し合いながら、一緒に考えています。時には衝突することもありますね。でもとにかくやるしかないので、私の意見も弘聖の意見も試してみて、合う方をやっていくという感じです。文字通り、二人三脚の状態ですね。技能五輪全国大会出場者の中には、他県代表で、宮崎出身の子もいるんです。だけど、技能を習得できる環境が宮崎には少ないがゆえに、県外に出てしまう。求人が出ている企業の数も明らかに宮崎だと少ないです。確かに県外と比較すると恵まれた環境ではないかもしれません。けれど、まずは県内でこのような技能を磨く同世代がいることを知ってほしいですし、こういう仕事があることも知ってほしい。やればやるほど技術が磨かれますし、奥の深い仕事です。やりがいもありますし、1つのことを追求することが好きな子にとっては非常に楽しいと思いますよ。
技能を磨き続け、継承し続ける
【弘聖さん】父は、自分が何をやるにせよ、基本的に見守っていてくれます。本当に感謝しています。私のような世代が技能を継承し、絶やさないようにすることがとても大事だと思っています。周りの友人は東京など県外へ出ている人が多くいます。確かに宮崎は限界を感じるシーンが時々あります。だけど、宮崎でしかできないこともあります。これからも、現状に満足することなく、まだまだ技術を向上していきたいです。次回は、23歳を超えるとチャレンジできる技能グランプリに出場したいと思っています。そして、私の下の代にも技能を継承していきたいですし、宮崎の技能を全国に知らしめたいです!
ライター後記
弘聖さんは「かんな」について話されるときや、伝統技術について話されるとき、キラキラと目を輝かせ夢中になって話してくださいました。本気で家具や道具が好きなんだな、と感じ、もっと聞きたい、もっと多くの人にこの魅力を知ってほしい、と自然に思わせてくれました。一方武美さんは、そんな弘聖さんを尊重、信頼し、いい距離感で見守っていらっしゃる。お互いが高め合える理想的な関係性だなと感じました。「宮崎には◯◯がないから」と出来ない理由を探してしまいがちですが、出来ると信じ、がむしゃらに出来る方法を追求していくことで、不可能はなくなるのかもしれません。そんな希望を与えてくれる素晴らしいインタビューでした。